和歌山県にある無人島、友ヶ島。明治時代から第二次世界大戦にかけて日本の防衛拠点として活躍したこの島には、数多くの砲台跡やトンネルが残っています。レンガ造りで連なるノスタルジックな建物は「実写版ラピュタ」のような神秘的な風景。訪れる際のポイントや見どころを写真と共に紹介します。
友ヶ島へのアクセス方法とフェリー情報
友ヶ島へは「友ヶ島汽船」という会社のフェリーでアクセスできます。1〜2時間に1船程度の運行で、1船につき定員が100名程度なので、ゴールデンウィークやお盆などは昼には売り切れることがあります。フェリーが発着する加太港から所要時間は20分〜30分程度で友ヶ島に到着します。
- Qフェリーは予約はできますか?
- A
予約はできません。9時以降の便は、当日整理券が配布されます。昼ごろには周辺の駐車場もいっぱいになることが多いので、遅くても10時ごろには現地に到着したい。
ゴールデンウィークや夏休み期間は写真掲載の便以外にも、臨時便が用意されます。天候によっては欠航されることもあるので、高頻度で更新される公式HPで詳しい情報をチェックしましょう!
友ヶ島汽船 公式HP https://tomogashimakisen.com/main/
友ヶ島へは登山のつもりで訪問しましょう
友ヶ島の見どころを全て見て回るには2時間以上かかります。砲台跡という特性上、島の高台に見どころが集中しているため、道のりは超ハード。ゴロゴロとした岩が混じった山道を歩くので底が柔らかいスニーカーだと捻挫をしたり、つまづいて転けてしまったりする可能性があります。
友ヶ島の訪問は登山靴や動きやすい服装がおすすめです。ハイキングや登山のつもりで訪問しましょう。
友ヶ島のおすすめルート
明治時代から第二次世界大戦にかけて日本の防衛拠点として位置づけられた友ヶ島には、多くの砲台跡やトンネルが残っています。砲台跡は5ヶ所あり、最も有名なのが「第三砲台跡」。第三砲台跡は友ヶ島の砲台跡のなかでも最大規模であり、近くには「弾薬支庫跡」や「将校宿舎跡」「展望台」などがあります。正直、よっぽどの友ヶ島マニアでなければ、体力や道のりの過酷さを踏まえると目的地は第三砲台跡周辺で良いと思います。それに第三砲台以外の内部は立ち入り禁止になっていて外からしか見学ができません。
第三砲台跡の様子と見どころ
第三砲台は友ヶ島の最主力砲台として建設されました。全周360度を射撃でき、明治政府の紀淡海峡防備のための主要な施設として建設されました。
塀で丸く囲まれた砲座跡の周囲が草木で覆われており、人工物と自然との調和が神秘的です。砲座は合計4ヶ所あり、地下通路でつながっています。地下通路には実際に入ることもでき、砲弾貯蔵庫や揚弾装置を見学することもできます。
地下通路は真っ暗。最低限の明かりが灯って入るものの、奥に進むと足元が見えません。
第三砲台の地下通路は非常に暗い。懐中電灯があると便利です。
一番ラピュタっぽい場所「弾薬支庫内部」
アーチ状に連なる煉瓦造りの建物が第三砲台跡の弾薬支庫。さながら、ジブリの世界に迷い込んだような不思議な空間です。友ヶ島を訪れたら絶対に外せない場所だ。
内部を進むと部屋の奥の細い通路で全て繋がっています。これは壁面の結露を防止する(防湿)ための工夫で迷路みたいな雰囲気がある。
友ヶ島の歴史
友ヶ島に残る軍事施設は明治時代に外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で建設されました。紀淡海峡を挟んで淡路島の由良(兵庫県洲本市)と、和歌山県の友ヶ島と深山の3地区が選ばれ、由良要塞と呼ばれました。後に鳴門地区も追加され、大砲118門を備えた「日本有数の大要塞」は戦時中は一般の人は立入禁止の軍事機密施設でした。
由良要塞は1896年(明治29年)に開設されました。しかし、時代は戦艦ではなく航空機が主力となりつつあった時代。大規模な予算を投入した由良要塞でしたが、一度も敵艦を迎え撃つことなく役目を終えました。その後、由良要塞は終戦とともにGHQによって撤去されてしまいました。
アクセス
所在地 | 和歌山県和歌山市 加太港からフェリーを利用します。加太港の詳しい場所をGoogleマップで確認する。 |
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料金 | 加太港 ~ 友ヶ島(往復) 大人2,200円 (税込) ※中学生~ こども1,100円 (税込) ※小学生~ ※幼児無料 |
TEL | 073-459-0314 |
URL | https://tomogashimakisen.com/main/ |