兵庫県高砂市・生石神社の境内に鎮座する「石乃宝殿」はまるで水面にぷかりと浮かんでいるかのような不思議な巨石。
形も独特でブラウン管TVのように突起している部分があり、明かに人の手によって造られた形をしていますが
「誰が何の目的で造ったのか」がわかっていません。
その不思議する異様な姿は江戸時代の書物に「日本三奇」の一つとして紹介されたほど。
今回は石乃宝殿について写真とともに、その魅力をご紹介します。
バス10台分の重さ!? 神社に眠る怪物級の巨石

生石神社は山の斜面に沿った形で位置しています。鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた急な階段を上っていくと、真ん中だけがポカリと開いた本殿に到着。

本殿の裏手に現れるのが生石神社の御神体「石乃宝殿」です。

まず目を奪われるのが、その圧倒的なスケール感。
その大きさは
横幅約6.4m、高さ約5.7m、奥行き約7.2mという巨大さで、推定重量はなんと約500トンにも及びます。
数字だけではイメージしにくいかもしれませんが、これは大型観光バス10台以上に相当する重さ。
目の前に立つと「ウルトラ怪獣が現れたのか!?」と思ってしまうほどの圧迫感と緊張感を放っていました。
【石乃宝殿の謎】誰が、何のために、どのように造ったのか

石乃宝殿の凄まじさは大きさだけにとどまりません。
形も非常に独特で正面から見ると正方形の巨石に見えるのですが、後ろにまわり込むとブラウン管TVのような三角形の出っ張りが見られます。

この出っ張り部分を上部にすると、ピラミッドのような形になります。どういった意図があってこの出っ張りがあるのでしょうか?
明かに製作者が目的をもって加工していることが想像できますが、
この石乃宝殿は「いつ、誰が、何のために、どうやって造ったものなのか」わかっていません。
地中レーザーや超音波調査の結果、空洞なし

これまで、石乃宝殿はお墓として活用するために作成されたものであるという説がありました。
しかし、2008年に地中レーザーと超音波を使った調査が行われた際、空洞はないことが判明。
果たして今の形が完成品?ピラミッドパワーを集めるための装置?神の創造物??その謎は深まるばかりです。
石の材質は流紋岩質凝灰岩(竜山石)で近くの竜山で採れる石材と同じものだということはわかっています。
「浮き石」と呼ばれる理由

そして、この石の宝殿をさらにミステリアスにしているのが、その「浮いている」かのような姿です。
巨石の周囲は池になっており、その下部は水に浸かっています。
そのため、水面の反射と相まって、まるでこの500トンもの巨石が水面にぷかぷかと浮いているかのように見えるのです。このことから「浮石(うきいし)」という別名も持ちます。
水中を覗き込んでみると、石の下の部分が深く削り込んであって、水を溜めた中に浮いているように見えるようになっていました。
まるで、切り離す直前の状態にあり、ハンマーで叩けばゴロンと転がりそうな状態。
これは作者の遊び心??それとも、切り離す状態のところに水が貯まったのか?
この視覚的なトリックが、見る者に強烈な印象を与えます。
日本三奇のひとつに数えられる石の宝殿


この不思議な石乃宝殿は、
江戸時代の医者、橘南谿の紀行『東遊記』『西遊記』の中で日本の3つの奇跡として紹介され、「日本三奇」の一つとして古くからミステリースポットとして多くの人々が訪れた場所でした。
ちなみに日本三奇に数えられる他の二つは、宮城県にある塩竈神社の塩竈と、宮崎県の高千穂峰山頂にある霧島東神社の天の逆鉾です。
【各説を紹介】石乃宝殿は何のために造られた?
石乃宝殿が位置する生石神社は、はるか昔、紀元前の崇仁天皇の時代に創建されたと伝わっています。
あくまでも伝説の域を超えませんが、古文書や生石神社に伝わる社伝やに石乃宝殿の由来が記されています。
石の宝殿は物部守屋が造らせた?

715年頃に編纂されたとされる『播磨国風土記』によると、聖徳太子の時代に物部守屋が造らせたとされます。
記述には史実と異なる部分があるため、正しい情報ではないとされていますが、
715年の奈良時代には既に石乃宝殿が存在していたことがわかります。
石乃宝殿はいつの時代から存在するのでしょうか?
生石神社に残る『生石神社略記』によると、神話の時代に遡ります。
生石神社略記によると石の宝殿は神様の宮殿!?

生石神社のご祭神は、大穴牟遅と、少毘古那の二神。
どちらも日本の国造り神話に登場する重要な神様です。
そして、この二神と石の宝殿にまつわる興味深い伝説が「生石神社略記」に残されています。内容を簡単に要約するとこうだ。
大穴牟遅と少毘古那の二神が力を合わせ、「この国をしっかりと治め、平和を守るために、ふさわしい石造りの立派な宮殿を建てよう」と一夜にして石の宮殿(石の宝殿)を造ろうとした。しかし、工事の途中で、地元の神様(阿閇大神)が反乱を起こした。そのため、二神は、やむを得ず工事を中断して山を下り、多くの神々を集めて、反乱を起こした神々を鎮圧し、ようやく平和を取り戻しました。しかし、そうこうしているうちに、残念ながら夜が明けてしまい、宮殿を完全に造り上げることができなくなってしまいました。
つまり、石の宝殿は神様が建てた未完成の宮殿とされています。
だから、不思議な形状をしているというわけか。
地元の神様の反乱によって頓挫したという経緯はあるものの、国造りの神様でさえ完成させられなかった石の宝殿。
正直、石乃宝殿には滑らかに加工したような箇所も確認できる“建築物”なのですが
人々は目の前にある異様な巨岩に畏れを抱き、伝説を紐付けてしまう。石乃宝殿はそんな常識を超えた存在感を放っています。
神代の昔大穴牟遅(おほあなむち)、少毘古那(すくなひこな)の二神が天津神(あまつかみ)の命を受け国土経営のため出雲の国より此の地に座し給ひし時、神相謀り国土を鎮めるに相応しい石の宮殿を造営せんとして一夜の内に工事を進められるも、工事半ばなる時、阿賀(あが)の神一行の反乱を受け、そのため二神は山を下り、数多(あまた)神々を集め、この賊神を鎮圧して平常に還ったのであるが、夜明けとなり此の宮殿を正面に起こすことができなかったのである。時に二神のたまはく、たとえ此の社が未完成なりとも二神の霊はこの石に籠り、永劫に国土を鎮めんと言明せられたのである。
「大きなる石」の記憶―『播磨国風土記』生石神社を旅して― | 東城敏毅 | 日文エッセイ236https://www.ndsu.ac.jp/blog/article/index.php?c=blog_view&pk=1681382300c52cec1fc25c61291df17104b946eec8
生石神社の石の宝殿にあのシーボルトも訪れた

この石の宝殿の謎は、日本人だけでなく、遠く海外から訪れた知識人の心をも捉えました。 江戸時代後期(1826年頃)に来日したドイツ人医師であり、著名な博物学者でもあるシーボルトも、この地を訪れているのです。彼は日本の自然や文化を精力的に調査し、その成果を『日本 (NIPPON)』にまとめましたが、その中で、この石の宝殿についても詳細なスケッチと共にその巨大さ、加工技術、そして何よりその目的不明な点について記録を残しています。
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まとめ
古代から人々を魅了してきた「石乃宝殿」。
科学調査をしてもなお解明されない謎に包まれ、その姿は日本三奇のひとつとして今もなお語り継がれています。
自然と人の営み、そして神話が重なり合うミステリースポットは、まさにここだけ。
最後までご覧いただきありがとうございました。
アクセス
- 住所:〒676-0823高砂市阿弥陀町生石171
詳しい場所をGoogleマップで確認する。 - 料金:有料100円(拝観料)小人50円
- 駐車場:有り
- TEL:079-447-1006


