天下分け目の「関ヶ原の戦い」。そんな歴史的合戦を実寸大でリアルに再現しようとするテーマパークが「関ヶ原ウォーランド」だ!!
園内には240体以上の武士や馬が立ち並び、さながら3D時代劇の世界でスゴイ迫力なのですが、いかんせん像が素人くさい(味わい深い)。でも同時に、像それぞれの表情に特徴があって躍動感とユーモラスさが漂っています。詳しい様子を写真と共にお伝えします。
東西の陣地で合戦を再現した園内の様子
関ヶ原ウォーランドは昭和39年(1964)に岐阜県関ヶ原町にオープンした施設。お城のような立派なゲートを抜けると、東軍と西軍に分かれた当時の陣形をそのままに合計240体以上の武将像で「関ヶ原の戦い」が再現されています。
関ヶ原の戦いは慶長5年(1600年)に行われた、徳川家康が率いる東軍7万5000人と石田三成率いる西軍8万人、合計15万以上の大軍が戦った天下分け目の大合戦です。
像の表情に注目
像に目を向けてみると、倒れた相手にとどめを刺そうと鬼気迫る表情の武将や鉄砲を構え狙いを定めている者、落馬しているドジな奴などさまざま。表情もそれぞれ違い、ユーモラスで不思議な魅力があります。
これらの像は約60年前の第一回目の東京オリンピック開催時期に作られた像です。一時期は塗装が剥がれていましたが、近年ボランティアの方々による再塗装の補修が施されました。それぞれの出来上がりに個体差がありまた違った味わいが加わっています。
天下分け目の合戦をお散歩気分で観察
軍勢の間をぬうように園内の像を観察できるので、天下分け目の合戦をお散歩気分で追体験できて楽しい。武将像の側には名札があり、映画やドラマなどで知っている名前を見かけると嬉しいぞ。
園内入り口付近のスピーカーから大河ドラマ調のナレーションがしゅくしゅくと放送されているのもシュールです(誰も放送を聞いていない)。
一番の見どころは首実検場(くびじっけんじょう)
1番の見どころは首実検場を再現したエリア。関ヶ原の戦いの後、勝利した東軍の徳川家康のもとに、次々と西軍諸士の生首が届けられました。届けられた首を確認している家康と周りを囲む家臣の姿に像といえども緊迫感がただよっています。
首実検とは、戦場で討ちとった敵方の首を大将が判定する行為を言います。討ち取ったと主張する者にその首を提出させ、相手の氏名や討ち取った経緯を、場合によっては証人を伴い確認した上で戦功として承認しました。また、首実検を前に「首化粧」をするという文化もあります。これは、少しでも良い戦功を得ることを目的に首をきれいに洗い、お歯黒を付けたというものです。
武田信玄の亡霊が叫ぶ「ノーモア関ヶ原」
関ヶ原の時代に存在しなかった武田信玄が隠れキャラとして存在しています。「愚かな戦争は止めるべきだ」というメッセージを伝えていました。
我こそは武田信玄の亡霊じゃ!!もう争いはやめい!ノーモア関ヶ原合戦じゃ!
コンクリート像の作者「浅野祥雲」
関ヶ原ウォーランドのコンクリート像は「浅野祥雲」によって作成されました。関ヶ原ウォーランドの他にも「桃太郎神社」や「五色園」などの像の製作者としても有名な人物で、「東海の珍スポットの父」とも言える伝説的人物です。
浅野祥雲(1891年-1978年)は昭和初期から40年代までコンクリート造形師として活躍した人物。父親は農業のかたわら土人形を製作する職人で、その影響を受け人形制作を開始する。土で作れる物より、「もっと自由に大きな作品を作りたい」という思いから、当時最新の素材であったコンクリートで人形を作ることを思いつき、映画館の看板を描いて生計を立てながら等身大のコンクリートによる塑像という独特の制作スタイルを打ち立てる。33歳から作り始めたコンクリート像は1000体以上とも言われそのうち800体近くが東海地方に現存しています。
アクセス
【住所】岐阜県不破郡関ケ原町1701-6
詳しい場所をGoogleマップで確認する
【料金】大人:500円、小人:300円、小学生未満:無料
【営業時間】
・10:00~15:00(平日)
・10:00~16:00(土日祝)
・10:00~16:00(4月~11月)
【定休日】年末年始
【アクセス】JR「米原」駅から車で約25分、JR「関ヶ原」駅から徒歩約25分(車で約5分)
【Webサイト】https://www.warland-web.com
隣接する施設の利用がおすすめ
関ヶ原ウォーランドでは鎧かぶとや甲冑のレンタルも実施しています。施設の外の向いにはお土産屋さんやレストラン「Sekigahara花伊吹」があり、レストランで食事をすると入園無料のサービスもあります。
最後までご覧いただきありがとうございました。