「東青山変電所跡」は山奥という立地状況により、美しく自然に朽ちた廃墟です。変電所という特性から、電線を通す無数の穴が壁に開いていたり、陶器製の碍子(がいし)と呼ばれる器具などが残っていたりと通常とは違った廃墟美を感じることができます。
ただ東青山変電所跡へ向かう道中は土砂崩れが発生し、道が寸断されています。したがって急勾配の斜面をのぼり、山道を迂回する必要があるので、詳しい行き方を事前に確認しておく必要があります。
詳しい様子を写真と共にご紹介します。
東青山変電所跡の魅力

東青山変電所跡は昭和50年にその役目を終えながらも、取り壊されることなく三重県の山奥にひっそりと佇んでいます。道中には旧東青山駅という近鉄大阪線の廃線もあり、多くの廃墟マニアに愛されている場所です。

東青山変電所跡と旧東青山駅への行き方
Googleマップで「東青山変電所跡」と検索すると、近くまでたどり着くことができます。ただ、土砂崩れで道が寸断されていることに加え、鬱蒼とした林道を通る必要があるので詳しい行き方を事前に確認する必要があります。ここでは写真と共に道中の様子をお伝えします
Googleマップで案内される道を進んでいくと、白いガードレールが付いた小さな橋に辿り着きます。左手にリベラルパーク青山という施設があるのが目印。橋付近は若干の広場になっているため、車で訪問する際はここに駐車すると良いです。以下はGoogleマップのストリートビューです。

バイクでの訪問の際は、この先をさらに進むと「通行止め」という看板が現れる。ここでバイクを停めて進むことをおすすめします。看板からもう少し進むと土砂崩れで道が寸断されている。ここからがいよいよ迂回ルートです。

寸断されている道を正面に左を見上げると急勾配の斜面があります。ここを登ります。かなり険しい道なので、動きやすい服装と靴、足首のストレッチが必要になります。木々を掴んで登ることもあるので手袋があれば便利です。

どのように進んでも、遭難リスクはほぼない。なぜなら、この先の高い所に辿り着けば、自分の位置やその先の道がなんとなくわかるからです。足元をよく見ると、先人たちが通った跡があるので、それを手がかりに登りましょう。
過去の訪問者がピンクのテープを木にくくりつけてくれていますが、木々が倒れており、あてにはなりません。斜面を登りきったら、あとは右手にくだるだけ。これも、足元をよく観察すると、誰かが通った跡があるので、迷うことはないでしょう。
旧東青山駅には本屋があった
順調に順路を進むと東青山変電所跡の近くにある旧東青山駅に到着します。「こんな山奥に何故駅」とも思うのですが、もともとは駅としてではなく信号場としての役割で使用されていた場所が駅になった経緯があります。これは4kmほど離れた初瀬街道・垣内宿の集落から要望があってのことだという。現在は廃線となり、東青山駅は別の場所に移動しましたが、古くなった駅が取り壊されることなく、ホームや駅の売店、電車の軌道の名残が残っています。

伊勢方面のホームは山の斜面が近いため木々が沢山生えています。

大阪方面のホームは、木組に廃レールが転用されており、その上にコンクリートが敷かれた珍しい造り。山奥という立地上、有り合わせの素材を組み合わせて作成されたのでしょう。

旧東青山駅はハイキング客も多く訪れた場所であり、山奥でありながら伊勢方面のホーム付近に茶店や売店がありました。

近くには沢山のビンや冷蔵庫等が散乱していました。

今は残ってはいませんが大阪方面には本屋があったと地元の人は語ります。
当時の駅を利用されていた、福井 寛人氏のサイト
近鉄大阪線旧東青山駅探訪記http://hse.dyndns.org/hiroto/Railway/003/MAIN.htm
近鉄大阪線列車衝突事故により前倒し廃線
「近鉄大阪線列車衝突事故」とは1971年10月25日、旧東青山付近の津市(旧白山町)で特急列車同士がトンネル内で正面衝突し、25人が死亡、288人が負傷した事故です。旧東青山駅は元々、近鉄の大阪線の完全複線化により廃線になる予定でしたがこの事故を機に前倒しとなりました。
近鉄によるとATS(自動列車停止装置)の異常動作で一旦停止。運転再開後、急勾配の単線区間をブレーキが利かない状態で走行した。制動解除時の対処が、不適切だったとされています。旧東青山駅ホーム近くの「滝谷トンネル」から制御不能となり電車は坂道をゆるゆると下りだし正面衝突をしました。事故のあった滝谷トンネルも確認することができます。
近鉄大阪線列車衝突事故から25日で50年 死傷者300人超の大惨事 伊賀タウン情報ユー 2021年10月21日 https://www.iga-younet.co.jp/2021/10/21/46221/

東青山変電所跡までの道はハイキングコースのように整備されている
旧東青山駅を抜けてしばらく歩くと、ハイキングコースのように整備された道に到着します。川が流れているのですが、ダム?疏水?によってウォータースライダーのように水が下流に流れていました。良い景色です。


さらに進むと木組に鉄板を敷いた簡易的な橋が右手に現れます。この先が目的地の東青山変電所跡です。2mぐらいの高さがある橋でぼろぼろなので、注意して歩きましょう。
三重県のノスタルジックな風景、東青山変電所跡

東青山変電所跡は旧東青山駅は密接な関連があります。近鉄大阪線の路線が位置する青山峠付近は急勾配が多いため、電車の運行上、大量の電力調整や管理が必要となりました。そのため、東青山変電所が活躍したのです。当時は最新の機械が導入され「東洋一の大型変電所」として脚光を浴びた施設でした。
変流室
一番大きな空間の変流室。白壁に窓から差し込む沢山の日差しが反射し、幻想的な空間となっています。所々にコンクリートが剥げ落ち、緑の苔が生している。自然に飲み込まれながらも、巨大な設備がここにあったことを感じることができます。


最大の巨大設備があったであろう空間
建物の中に吹き抜けの大きな空間があります。2階にはカラカラと換気扇のような排熱装置が回っており、床は木製で熱が逃げるような造りでした。


冷却槽らしき空間もありました。ただ、残留物が多すぎて、ゴミ捨て場のようになっています。これらの作りから、先ほどの吹き抜けの大きな空間はおそらく凄まじい熱が生じる機械が稼働していた場所なのだろうと想像できます。

残留物と謎のドラムセット
建物内部を見て回ると、変電所ならではの残留物や当時の様子がうかがえる痕跡が残っています。中でも、不思議なものがドラムセット。廃墟になってから誰かが持ち込んだものなのか、当時の職員が余暇として楽しんでいたのか謎です。

建物の階段を降りた先にもう一つ部屋がありました。こちらはかなり薄暗い。窓が一つしかなく、壁も黒塗りで劇薬や精密機械を保管していた場所なのだろうか。

棚の下には陶器製の碍子(がいし)が残っていました。碍子は、電線とその支持物とのあいだを絶縁するために用いる器具です。変電所ならではの残留物ですね。「安全 健康 ムダ排除」と記された看板も残っています。

近くのおすすめ珍スポット。車で10分程度の場所
【ルーブル彫刻美術館】ルーブル美術館の姉妹館(ガチ)と世界一の金張り大観音像
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アクセス
まとめ
三重県の山奥に位置する東青山変電所跡。近くには旧東青山駅が位置し、2つセットで廃墟ノスタルジーを楽しむことができます。また、余談になりますが、お笑い芸人のダウンタウンの浜田さんや今田耕司さんが通っていた日生学園(現在青山高等学校)が近くにあります。以上です。最後までご覧いただきありがとうございました