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【三重の廃墟探訪】東青山変電所跡&旧東青山駅 – アクセス困難な秘境に眠る「東洋一」の伝説と廃線ミステリー

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東青山発電所の内部写真 三重県
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山奥深くに眠る、時が止まったかのような美しき廃墟──それが「東青山変電所跡」です。壁一面に穿たれた電線を通すための無数の穴、そして今もなお点在する白い陶器製の碍子…。かつて地域の電力を支えた変電所ならではの遺構が他の廃墟とは一線を画す独特の退廃美を醸し出しており、神々しささえ漂うほど魅力的。しかし、この廃墟への道中は土砂崩れにより正規のルートが寸断されており、急な斜面と険しい山道を迂回するという、まさに冒険とも言える道のりが待ち受けています。訪問には入念な下調べと相応の覚悟が不可欠。

不屈のブルースチェン(ライター)
不屈のブルースチェン(ライター)

今回は東青山変電所跡の息をのむような美しい姿と、そこにたどり着くための道のりを豊富な写真と共に詳しくレポートします。

  1. 【三重の廃墟探訪】東青山変電所跡と旧東青山駅 – 廃墟マニアを魅了する自然に還る神々しい美しさ
  2. 【東青山変電所跡アクセス①】Googleマップの終点と、車・バイクそれぞれの最終駐車ポイント
  3. 【東青山変電所跡アクセス②】土砂崩れ現場から開始!急斜面を登る迂回路と必須装備・服装
  4. 【東青山変電所跡アクセス③】道なき道(?)の歩き方 – 頼れる先人の足跡と“あてにならない”ピンクテープの罠
  5. 山奥に眠る廃駅「旧東青山駅」発見!信号場から駅へと昇格した意外な歴史と背景
  6. 時が止まったプラットホームの謎 – 廃レール転用の珍しい構造と自然に還りゆく軌道跡
  7. かつての賑わいを偲ぶ – ハイカー憩いの売店跡と“遺跡”のようなアグレッシブ建築の痕跡
  8. 【旧東青山駅の影】1971年近鉄大阪線列車衝突事故-廃線を早めた悲劇と滝谷トンネルの今
  9. ゴール目前!東青山変電所跡へのラストアプローチ:整備された道、廃レール手すり、そしてスリル満点の簡易橋を渡れ!
  10. 光と緑が織りなす幻想空間 – 変電所の心臓部「変流室」の朽ちゆく壮大な廃墟美
  11. 旧東青山駅と一心同体!「東洋一の大型変電所」と謳われた東青山変電所の栄光と歴史
  12. 謎の吹き抜けと散乱する“記憶”の断片 – 熱気を帯びた巨大機械室の痕跡を辿る
  13. 廃墟のミステリー – 謎のドラムセット、暗室に転がる碍子、そして「安全標語」が虚しく響く
  14. アクセス
  15. まとめ
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【三重の廃墟探訪】東青山変電所跡と旧東青山駅 – 廃墟マニアを魅了する自然に還る神々しい美しさ

変電所跡の様子

昭和50年(1975年)にその長きにわたる役目を静かに終えた、東青山変電所跡。取り壊しの運命を免れ、今もなお三重県の深い山中に時が止まったかのようにひっそりとその姿を留めています。

この場所が多くの廃墟マニアを惹きつけてやまない理由は、変電所跡そのもののノスタルジックな魅力に加え、そこへ至る道すがらに現れる近鉄大阪線の廃線**「旧東青山駅」の存在も大きい**。役割を終えた二つの産業遺構が豊かな自然の中で織りなす風景は圧巻です。人の手によって造られたものが、自然の力によってゆっくりと朽ち果てていくその過程はどこか荘厳で、**神々しいまでの退廃美**を醸し出しています。この静寂と美しさこそが、多くの人々を魅了し続ける理由です。

がいしの残留

【東青山変電所跡アクセス①】Googleマップの終点と、車・バイクそれぞれの最終駐車ポイント

「東青山変電所跡」へは、Googleマップで名称を検索すれば、ある程度近くまでは案内してくれます。しかし、道中には土砂崩れによる道の寸断があり、鬱蒼とした林道を分け入る必要があるため事前のルート確認と、それ相応の準備は絶対に欠かせません。
Googleマップが示すルートを慎重に進んでいくと、やがて白いガードレールが特徴的な小さな橋が見えてきます。この橋の手前、進行方向左手に「リベラルパーク青山」という施設があり、こちらが目印。橋の周辺は少し開けた広場状になっているため、お車で訪問される場合は、ここに車を停めてから先へ進むのがおすすめ。ここから先が、いよいよ本格的な廃墟へのアプローチの始まり。

リベラルパーク青山から先の道の様子。車で通れないことはないが、木や草で車体が傷ついてしまうだろう。

バイクで訪問される場合は、この橋からさらに少し進むことができますが、やがて「通行止め」の看板が現れます。ここがバイクの駐車限界点。ここから先は、いよいよ本格的な迂回ルートの始まりです。

【東青山変電所跡アクセス②】土砂崩れ現場から開始!急斜面を登る迂回路と必須装備・服装

寸断された道の写真
滝のようになっているトンネルの上に続く道へと迂回します

通行止めの看板を過ぎ、さらに未舗装の道を進むと土砂崩れによって道が完全に寸断されている場所に突き当たります。ここからが、東青山変電所跡へ至る唯一の道、険しい迂回ルートのスタートです。寸断された道を正面にして左手を見上げると、そこには急峻な土の斜面が。そう、ここを登っていくのです!
足元は滑りやすく、かなりの急勾配なので、動きやすい服装と滑りにくい登山靴は必須。事前に足首などをよくストレッチしておくことも重要だと思います。時には、周囲の木々を掴んで体を引き上げるようにして登る場面もあるため、軍手や作業用手袋があれば非常に便利でしょう。

【東青山変電所跡アクセス③】道なき道(?)の歩き方 – 頼れる先人の足跡と“あてにならない”ピンクテープの罠

迂回ルートへの道

「こんな急斜面、本当に登れるの?道はあるの?」と不安になるかもしれませんが、意外にも遭難のリスクは高くない、と感じました。なぜなら、ある程度高い場所まで登りきれば、周囲の地形や進むべき方向がなんとなく見えてくるからです。
そして何より頼りになるのが、地面をよく見ると確認できる、これまで多くの訪問者が通ったであろう微かな踏み跡。これを手がかりに、慎重にルートを選んで進めば、大きく道を踏み外すことは少ないでしょう。
ただし、注意したいのが、時折木々に結び付けられているピンク色のテープの目印。これらは親切な先人が残してくれたものかもしれませんが、倒木などで位置が変わっていることが多く、全面的に信用するのは危険です。あくまで参考程度に留め、自分の目と足で安全なルートを確認しながら進むことが肝心。息を切らしながら、急な斜面を登りきると、そこからは一転して下り道となります。右手方向へと下っていくイメージで進みましょう。この下り道が見えてくれば、目的地の東青山変電所跡はもう間近。周囲の雰囲気も徐々に変わり始め、鬱蒼とした森の中に人工物の気配が感じられるようになってくるはず。

山奥に眠る廃駅「旧東青山駅」発見!信号場から駅へと昇格した意外な歴史と背景

東青山変電所跡への道のりを順調に進んでいくと、やがて視界に飛び込んでくるのが、かつて近鉄大阪線の一部として機能していた「旧東青山駅」のプラットホームです。「こんな深い山奥に、一体なぜ駅が…?」と誰もが素朴な疑問を抱くことでしょう。実はこの場所、元々は列車交換のための信号場として設けられたのですが、約4km離れた初瀬街道沿いの垣内宿集落の住民たちからの熱心な要望を受け、後に駅へと昇格したという、興味深い歴史的経緯を持つのです。
現在は廃線となり、東青山駅自体はより利便性の高い別の場所へと移転しましたが、この山中に取り残された旧駅舎とホームは奇跡的にも取り壊されることなく、当時の面影を色濃く今に伝えています。

時が止まったプラットホームの謎 – 廃レール転用の珍しい構造と自然に還りゆく軌道跡

ホームの様子

旧東青山駅のホームに実際に立ってみると昭和の時代に時間が巻き戻ったかのような不思議な感覚に包まれます。伊勢方面へ向かうホームは、すぐそばまで山の急斜面が迫り、木々が鬱蒼と生い茂って自然の力強さを感じさせます。
一方、大阪方面のホームに目を凝らすと、古い木組みの土台に廃レールを巧みに再利用して補強し、その上にコンクリートを敷いたという、非常に珍しい構造になっているのを発見できます。これはおそらく、物資の輸送もままならない山奥という厳しい立地条件の中で、手に入る限りの有り合わせの素材を最大限に駆使して作り上げられた、工夫の結果なのでしょう。かつて列車が走っていた軌道があった場所も、今は静かに草木に覆われつつあります。

旧東青山駅

かつての賑わいを偲ぶ – ハイカー憩いの売店跡と“遺跡”のようなアグレッシブ建築の痕跡

駅の売店の様子

この旧東青山駅は列車が通過するだけの場所ではなく、かつては多くのハイキング客で賑わっていました。伊勢方面ホームの近くには、当時営業していたであろう茶店や売店の跡が、今もひっそりと残されています。特に印象的なのが、巨大な岩盤をまるでくり抜くようにして建てられた売店の基礎部分。そのあまりにもアグレッシブすぎる立地と風貌は、もはや“遺跡”と呼んでも過言ではないほどの、強烈なオーラを放っています。

売店後で、売り物が散乱している様子

その周辺には、当時のものと思われる錆びついた冷蔵庫の残骸や割れたラムネのビンなどが今も散乱しており、過ぎ去った日々の喧騒と人々の喧騒を物語りを感じさせます。また、地元の人によれば、大阪方面のホームにはかつて小さな本屋まであったとか。深い山奥の駅に本屋があるほ人が行き交った場所なのですね。

【旧東青山駅の影】1971年近鉄大阪線列車衝突事故-廃線を早めた悲劇と滝谷トンネルの今

滝谷トンネル入り口の様子
滝谷トンネル

旧東青山駅の歴史には決して忘れてはならない痛ましい列車事故の記憶が刻まれています。それが、1971年(昭和46年)10月25日、この旧東青山駅付近の津市(旧白山町)に位置するトンネル内で発生した「近鉄大阪線列車衝突事故」です。この事故では、特急列車同士が正面衝突するという大惨事となり、25名もの尊い命が失われ、288名もの方々が負傷されました。実は、近鉄大阪線の複線化工事の進展に伴い、旧東青山駅はいずれその役目を終え廃線となる予定でしたが、この悲劇的な事故が廃線の時期を早めたと言われています。
近畿日本鉄道の発表によると、事故原因はATS(自動列車停止装置)の異常動作による緊急停車後、運転を再開した列車が、急勾配の単線区間をブレーキが効かない状態で走行。その際の制動装置の操作に不適切な点があったためとされています。旧東青山駅のホームからもほど近い**「滝谷トンネル」内で列車は制御不能**に陥り、そのまま坂道をゆるゆると下りだして正面衝突に至りました。

近鉄大阪線列車衝突事故から25日で50年 死傷者300人超の大惨事 伊賀タウン情報ユー 2021年10月21日 https://www.iga-younet.co.jp/2021/10/21/46221/

ゴール目前!東青山変電所跡へのラストアプローチ:整備された道、廃レール手すり、そしてスリル満点の簡易橋を渡れ!

ハイキングコースの写真

旧東青山駅のノスタルジックな雰囲気を後にし歩みを進めると、それまでの険しい道のりとは打って変わって、まるで整備されたハイキングコースのような比較的歩きやすい道へとたどり着きます。道の脇には清すがしい川が流れ、その水は堰か疏水によるものか、まるでウォータースライダーのように勢いよく下流へと注ぎ込み、なかなか見応えのある美しい景色を作り出しています。道中には安全のための手すりも設置されていますが、よく見るとこれもまた、かつて列車を支えたであろう線路の廃レールを巧みに再利用したもの。こんな所にも鉄道遺構の面影が息づいているのを発見し、思わずにやりとしてしまいます。

人工物の様子
ダム?この先が疏水のように水が流れて行っていました

そして、いよいよ目的地の「東青山変電所跡」が目前に迫ってくると、右手に木組の土台に鉄板を渡しただけの、何とも簡易的で手作り感満載の橋が現れます。この橋の先が、ついに目指す廃墟。ただし、高さが2メートルほどあり、しかもなかなかのボロボロ具合なので最後の力を振り絞り、一歩一歩、細心の注意を払って渡りましょう。

光と緑が織りなす幻想空間 – 変電所の心臓部「変流室」の朽ちゆく壮大な廃墟美

東青山変電所跡に外観

ついに東青山変電所に到着!建物は2棟に分かれ、植物が周りに生い茂っています。入り口がポッカリと開かれており、廃墟に飲み込まれるような気持ちで建物の中に突入しました。

変流室

変電所内で最も大きな空間であったろう「変流室(へんりゅうしつ)」。そこに足を踏み入れると、白い壁にいくつもの窓から差し込む柔らかな日差しが乱反射し、まるで聖堂のような幻想的な空間が広がっています。よく見ると壁のコンクリートは所々剥げ落ち、緑の苔が静かに生し、自然がゆっくりとこの巨大な人工物を飲み込もうとしているかのよう。この空間の圧倒的なスケールは、かつてここに巨大な変圧設備などが鎮座し、重低音を響かせて稼働していたであろう往時の姿を雄弁に物語っています。

旧東青山駅と一心同体!「東洋一の大型変電所」と謳われた東青山変電所の栄光と歴史

偏流室の様子

東青山変電所跡と、その手前に広がる旧東青山駅は切っても切れない密接な関連がありました。近鉄大阪線が越える青山峠は、険しい急勾配が続く鉄道の難所。そのため、電車の安定した運行には大量の電力を精密に調整・管理する必要があり、その心臓部としてこの東青山変電所が建設され、重要な役割を担ったのです。当時は最新鋭の機械設備が導入され、その規模と技術力の高さから**「東洋一の大型変電所」**として脚光を浴びた、輝かしい時代もありました。この場所が、かつて日本の鉄道網を支える最先端の施設だったことを思うと感慨深いものがあります。

謎の吹き抜けと散乱する“記憶”の断片 – 熱気を帯びた巨大機械室の痕跡を辿る

調整室

建物内部には、吹き抜け構造となった巨大な空間も存在します。2階部分を見上げると、今もカラカラと風に揺れて虚しく回り続ける換気扇のような排熱装置が。床は木製で、機械から発する凄まじい熱を効率よく外部へ逃がすための工夫が凝らされていたようです。

木製の床に書類が散乱

かつて大型の機械が轟音と共に設置されていたであろう場所には、当時のものと思われる書類や古新聞の残骸が散乱し機械を冷却するための水を溜めていたかのような槽の跡も見受けられます。残念ながら、現在は多くの残留物が無造作に積み重なり、まるで**忘れ去られたゴミ捨て場のような様相**を呈している箇所も…。これらの痕跡から、この吹き抜け空間が、凄まじい熱量を発する巨大な機械群が昼夜を問わず稼働していた、変電所の中枢であったことが力強く想像できます。

冷却装
冷却槽とおぼしき

廃墟のミステリー – 謎のドラムセット、暗室に転がる碍子、そして「安全標語」が虚しく響く

廃墟の内部

東青山変電所跡の内部をさらに奥深く探索すると、変電所ならではの残留物や、当時の人々の息遣いを感じさせる様々な痕跡が次々と現れます。しかし、中には「なぜこんな場所にこれが?」と首を傾げてしまうミステリアスな発見も。その代表格が、部屋の片隅に突如として現れるドラムセット! 廃墟となってから好事家が面白半分で持ち込んだのか、それとも当時の職員たちが、ここで密かなバンド活動に勤しんでいたのか…その真相は、今となっては謎に包まれています。

がいしの保管庫

建物の階段を降りた先には、もう一つ、窓が一つしかない非常に薄暗い部屋がありました。壁も黒く塗られており、ここは劇薬や精密機械などを厳重に保管していた特別な場所だったのかもしれません。その薄暗い棚の下には、白い陶器製の「碍子」がいくつも埃をかぶって並べられていました。電線とその支持部分とを絶縁するために使われる、まさしく変電所ならではの貴重な遺物です。

日本語の表札。無駄

そして、そんな廃墟の一角には、「安全 健康 ムダ排除」と記された古い安全標語の看板が。全ての役目を終え、静かに自然へと還りつつあるこの場所で、その言葉はどこか虚しく響いているようにも感じられました。

不屈のブルースチェン(ライター)
不屈のブルースチェン(ライター)

余談ですが実は東青山変電所の近くにはお笑い芸人のダウンタウンの浜田さんや今田さんが通っていた日生学園(現在青山高等学校)が近くにあります。

アクセス

まとめ

三重の山奥深くに眠る、東青山変電所跡と旧東青山駅。今回は、その朽ち果てていく過程にこそ宿る独特の美しさと、そこに刻まれた濃密な歴史、そして決して平坦ではない道のりの先に待つ、忘れられない感動をご紹介しました。Googleマップの案内が終わる地点から始まる、土砂崩れを迂回し、時には道なき道をも進む本格的なアプローチ。それはまさに、訪れる者の覚悟と探求心を試すかのような、スリリングな冒険と言えるでしょう。しかし、その先に広がる旧東青山駅のノスタルジックなプラットホームや、かつて「東洋一の大型変電所」と謳われた東青山変電所の壮大な遺構は、道中の苦労を瞬時に忘れさせるほどの圧倒的な存在感を放っています。光と影、そして緑の苔が織りなす変電所内部の幻想的な空間、そこに残された謎のドラムセットや数々の残留物、そして忘れ去られた安全標語…。これら全てが、過ぎ去った時間と、そこで確かに息づいていだ人々の営みの記憶を、静かに、しかし力強く物語っています。この地で起きた近鉄大阪線の痛ましい列車衝突事故の歴史もまた、私たちが忘れてはならない、この場所が持つ重みの一部です。東青山変電所跡と旧東青山駅は、単なる廃墟スポットという言葉だけでは語り尽くせない、自然の力と人間の創造、そしてその儚さが交錯する、生きた歴史の証人です。訪れる際には、くれぐれも十分な準備と、この場所に眠る物語への敬意を払う心を忘れずに。言葉だけでは伝えきれない、この静謐で力強い空間が放つ声なきメッセージを、ぜひあなた自身の五感で感じ取り、あなただけの発見をしてみてください。最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。