三重と奈良の県境のどかな田舎道に突如として現れる極彩色のパラダイス。ここは「陶芸空間 虹の泉」。幸せそうに微笑む天使たち、地面を彩るカラフルなタイルたち、一見すると楽しげな空間ですが細部まで作り込まれた作品が放つ凄まじいエネルギーはどこか気味悪さも感じさせる不思議な魅力に満ちています。広大な敷地を埋め尽くすこれらの作品全ては、たった一人の芸術家が作り上げたというから驚きです。

今回は美しくも少し不気味なアート空間「陶芸空間 虹の泉」の全貌を豊富な写真と共に詳しくお伝えします。
最初の巨大作品「大陶壁」

「虹の泉」をエリアごとに見てみましょう。一番奥に位置するのが、縦9メートル、横16メートルにも及ぶ巨大な**「大陶壁」**です。

共産主義モザイクとイタリアのルネサンス期の美術作品を掛け合わしたような独特な作風で見る者を圧倒します。また、周囲には高熱で溶け、角が立ったかのような無数の突起物が異様と表現しても良いほどの精巧さで施されています。
大陶壁は1987年に完成した、この場所で最初の作品。一時は汚れでくすんでいましたが、2021年の清掃作業によって完成当時の鮮やかな色調を取り戻しました。

天使が示すメッセージの内容とは

その大陶壁に向かって左側。一体の天使が、まるで種明かしをするマジシャンのようにメッセージを私たちに示しています。
「作者が今何を考えているか、知っているのは僕たちだけなんだ。彼はこの広場を雲の上に運び上げると云っている。たった今そのことを、君の心に留めておいてほしい」
分かるようで分からない、絶妙な言葉選びです。作者である東健次氏が亡くなった今、この文章の本当の意味を知ることはできません。しかし、彼が生涯をかけて作り上げたこの「虹の泉」に、その想いは確かに詰まっているのでしょう。
みんなで創るアート「イリスの壁」– 35年間の制作を支えた虹の泉の心臓部

正門から入って、右側の壁沿いに進むと**「イリスの壁」**があります。実はこの壁、地元の人や来場者などにメッセージを刻んでもらった陶板を買ってもらい、それを作品集合体として皆で作り上げる参加型のアートなのです。これが、35年間にも及ぶ「虹の泉」の制作活動を支えた大切な資金源でもありました。

【虹の泉】中央広場は“雲の上の世界”!? 白いモコモコが表現する未完の楽園

「陶芸空間 虹の泉」の中央部はゆるやかに窪んだ、巨大な“泉”を再現した空間となっています。そして、その泉の底や斜面を埋め尽くすように点在する、無数の白いモコモコとしたオブジェ。これらは、全て**“雲”を表現している**のだそうです。
つまり、私たちは今、雲の上に広がる天空の世界に立っている、ということなのかもしれません。この場所に実際に水が張られ青空と白い雲のオブジェが水面に映し出されたとしたら、それはきっと息をのむほど美しい光景でしょうね。

人間と樹木が一体化?「人間の樹の森」と、作者の“ちょっぴり怖い”ほどの執念

人間と柱が一体となった不思議な像が立ち並ぶ「人間の樹の森」というエリアもあります。奇妙な像たちと、その後ろに広がる本物の森とのコントラストが独特の世界観を演出しています。
作品のディティールに目を向けると、その曲線やトゲなどどれもが微妙に異なっており、全ての作品に作者のこだわりが詰まっていることに気がつきます。驚くべきことに、この丘状になった広場の地形も、作者である東氏が自ら土を盛り上げて作らせたもの。これだけの作品と、この広大な空間の全てをたった一人で創造し続けたという事実に尊敬を通り越してちょっぴり怖いほどの執念さえ感じてしまうのです。
神のお告げで始まった!? 「虹の泉」の作者・東健次の波乱万丈な芸術家人生
これほどまでに迫力のある「虹の泉」を創造した作者、東健次氏とは、一体どのような人物だったのでしょうか。彼の経歴をたどると、その波乱万丈な芸術家人生が見えてきます。
1938年に三重県で生まれた東氏は窯業高校を卒業後、22歳で初めてセイロン(現在のスリランカ)へ旅立ちます。そしてその地で、「神から陶芸のアートスペースを作るように」という啓示を受けたと言われています。その後、23歳で日本最高峰の公募展である日展に入選するなど、若くして芸術家としての評価を確立。しかし、28歳で移住したアルゼンチンではアンデス山脈に土地を購入したものの、創作への自信を失うという挫折も経験します。39歳で日本に帰国した彼はついに神のお告げを実現すべく「虹の泉」の創作を開始。そして2013年、74歳でその生涯を閉じるまで、この場所に魂を注ぎ続けたのです。
西暦 | 年齢 | 事項 |
1938年 | 三重県飯高町森で育つ | |
1956年 | 18歳 | 愛知県立瀬戸窯業高等学校卒業 |
1961年 | 22歳 | セイロンへ初めての旅。 神から陶アートスペースを作るように告げられる。 |
1962年 | 23歳 | 第5回日展 工芸美術部門に入選 |
1967年 | 28歳 | アルゼンチンへ移住。アンデス山脈に土地を購入。しかし作品作りへの自信を失う |
1978年 | 39歳 | 帰国。虹の泉の創作を開始 |
2013年 | 74歳 | 5月没す |
作者の死後、作品を守る人々 – 家族と地元有志による保存活動と、虹の泉の今
東氏の死後、その膨大な作品群はご家族の手によって守られてきました。しかし、作品の維持管理と、この貴重なアート空間を次の時代へと継承していくことを目的に2018年、虹の泉がある飯高地域の有志の方々が管理団体を設立。現在は、この団体が中心となって清掃活動や管理運営を行っています。一人の芸術家の情熱から生まれた場所が今は地域の人々の手によって大切に守られているのです。
【参照】よみほっと 陶芸空間 虹の泉 読売新聞 2019年10月27日 日曜版
まとめ
三重と奈良の県境、静かな山里に突如として広がる極彩色の異世界「陶芸空間 虹の泉」。今回は、たった一人の芸術家・東健次氏が生涯をかけて創造した、この唯一無二のアート空間の、美しくもどこか不思議な魅力をご紹介しました。
目的地まで本当にたどり着けるのか少し不安になるほどの、無数の“励まし系”看板。そして、その先に広がるのは、コンビニ50店舗分とも言われる広大な敷地を埋め尽くす、圧倒的な陶製アートの数々。最初の巨大作品「大陶壁」とそこに記された謎のメッセージ、来場者も作品の一部となった「イリスの壁」、そして人間と樹木が一体となった森…。その全てが、東氏の脳内宇宙をそのまま具現化したかのような、強烈なエネルギーと、どこか気味の悪ささえ感じるほどの迫力に満ちていました。「神のお告げ」を受けて始まったという、この壮大な創作活動。その背景には、世界を旅し、時には挫折も味わった一人の芸術家の、波乱万丈な人生と、凄まじいまでの情熱が確かに息づいています。 そして、作者亡き今、その遺志と作品が、家族や地元の方々の手によって大切に守られているという物語もまた、私たちの心を温かくします。
「陶芸空間 虹の泉」は、ただ珍しい作品を見るだけの場所ではありません。そこは、一人の人間の持つ計り知れない創造力と執念に圧倒され、アートと狂気の境界線で心を揺さぶられ、そして人と人との繋がり、想いを継承していくことの尊さを感じさせてくれる、非常にディープで、忘れられない体験ができる場所です。
訪れる際には、ぜひ足元に注意し、時間をかけて、東健次氏が遺したこの壮大な“夢の跡”をじっくりと味わってみてください。きっと、あなたの感性を強く刺激する、特別な発見が待っているはずです。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
アクセス
住所:〒515-1725 三重県松阪市飯高町波瀬156−1
国道166号沿い
入場料 高校生以上500円(作品の維持管理のため)
開場時間 10時から16時まで
公開月は3月〜12月。チケットは「波瀬道の駅」でも購入できます
管理者がいない場合はロープを越えて入場可