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約100年前の性崇拝民具や珍品を展示したミュージアム【東洋民俗博物館】

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東洋民俗博物館の壁掛け絵馬 奈良県
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「東洋民俗博物館」──どこかお堅い印象のある名前からあなたはどんな展示を想像するでしょうか?
実はここ、自らを「エローマン」(エロい男)と高らかに称した初代館長がその情熱と独自の審美眼で世界中から収集した各地の性崇拝にまつわる貴重な品々や思わず目を凝らしてしまうキッチュで愛すべき民芸品といった“珍品・奇品”が所狭しと並ぶ、超個性的なワンダーランドなのです。
1928年(昭和3年)の開館から100年近い時を経ても、その展示内容は驚くほど当時のまま。まるで昭和初期にタイムスリップしたかのような重厚な歴史の香りに包まれます。さらに、現在の館長によるユーモアと知識に裏打ちされた解説もこの博物館の大きな魅力の一つ。

不屈のブルースチェン(ライター)
不屈のブルースチェン(ライター)

今回はそんな謎と魅力、そしてちょっぴり妖(あや)しい(?)空気に満ちた東洋民俗博物館のディープな世界を豊富な写真と共にたっぷりとお届けします。

  1. あやめ池遊園地の夢の跡-東洋民俗博物館、奇跡の誕生と歴史
  2. 昭和初期のモダンが薫る!奈良県有形文化財の美しいアール・デコ建築
  3. 開館当初から時を刻む、アンティークな展示什器(じゅうき)たち
  4. 【東洋民俗博物館の展示】数万点の珍品と100年前の空気感!3つのゾーン(日本・海外民俗資料、森羅万象窟)の見どころ
  5. 日本の民俗資料
    1. 戦争の記憶と禁断の信仰 – B-29模型と隠れキリシタンの遺品
    2. 明治天皇ゆかりの品も!日常に垣間見る皇室の面影
    3. 庶民の願い炸裂!圧巻180枚の絵馬コレクションの世界壁
  6. 外国の民俗資料
    1. インドネシア・モーロック島から来た謎の「呪物人面」-異文化の神秘と畏怖
    2. 小さな靴が語る中国の因習「纏足(てんそく)」-美と束縛、そして女性たちの苦難の歴史
    3. 初代館長の仰天収集録!ペルー5千年前のミイラから「男根」だけをお持ち帰り!?
  7. 森羅万象窟(初代館長九十九黄人の研究室)
    1. 写真撮影禁止!初代館長・九十九黄色人氏の研究室「森羅万象窟」に眠る“禁断”のコレクション
    2. 逮捕もなんのその!東洋民俗博物館 初代館長のヤバすぎる逸話と“エローマン”を名乗った理由
    3. 九十九黄人と師スタール博士の友情物語:東洋民俗博物館に息づく国際的学術交流と銅像秘話
  8. 拝観の際は電話予約が必須
    1. 解説の様子
  9. アクセス
  10. まとめ
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あやめ池遊園地の夢の跡-東洋民俗博物館、奇跡の誕生と歴史

建物の外観の様子

「東洋民俗博物館」は1926年(大正15年)に華々しく開園した近鉄あやめ池遊園地の歴史と深く結びついています。当時、温泉や演劇場、さらには奈良県下唯一の動物園まで備えたこの一大レジャー施設の附属施設として、東洋民俗博物館は1928年(昭和3年)に開設されました。

しかし、USJの開業などの時代の波や近鉄自身のリストラ策も影響し多くの人々に愛されたあやめ池遊園地は2004年(平成16年)に惜しまれつつ閉園。その施設のほとんどが取り壊されてしまいました。そんな中、奇跡的に取り壊しを免れ今もその場所に佇み続ける唯一の建物が、この東洋民俗博物館なのです。

昭和初期のモダンが薫る!奈良県有形文化財の美しいアール・デコ建築

数々の危機を乗り越え現存する東洋民俗博物館の建物は、それ自体が非常に価値の高いもので奈良県の有形文化財にも登録されています。その建築様式は1920~30年代に流行したアール・デコ調。直線と立体を組み合わせた知的で洗練された構成が特徴で、L字型に設計された展示室が二つ組み合わさるという、当時としてはモダンで斬新なデザインです。
特に印象的なのが玄関周りで両端にはめ込まれたステンドグラスには女性の足をモチーフにしたという優美かつ大胆なデザインが施されています。

開館当初から時を刻む、アンティークな展示什器(じゅうき)たち

博物館の歴史を感じさせるのは建物だけではありません。館内には展示品を収める棚やケースといった什器が8種類、合計31台も現存しており、これらはすべて開館当初の昭和3年から使われ続けている貴重なもの。ガラスの質感や木枠の風合い、細やかな装飾が100年近い時の流れを静かに物語り、展示されている珍品奇品と共に博物館の歴史と独特の雰囲気を今に伝えています。

【東洋民俗博物館の展示】数万点の珍品と100年前の空気感!3つのゾーン(日本・海外民俗資料、森羅万象窟)の見どころ

東洋民俗博物館に収蔵されている品々は数万点以上とも言われ、その膨大なコレクションが1928年(昭和3年)の開館当初からほとんど変わらぬ姿で私たちを迎えてくれます。一歩館内に足を踏み入れればまるで100年前の世界に迷い込んだかのような、濃密な時間旅行が始まります。

その個性あふれる展示は、大きく3つのカテゴリーに分類することができます。まずは、日本の風土や人々の暮らしを伝える「日本の民俗資料」。次に、遠い異国の文化や風習が垣間見える「外国の民俗資料」。そして、最もミステリアスで興味をそそられるのが、自称“エローマン”こと初代館長の研究と思索の集大成とも言える「森羅万象窟(しんらばんしょうくつ)」です。この独特の展示方法もまた、開館当時の雰囲気を今に伝えています。
これらの分類ごとに、特に注目すべきおすすめの展示品を厳選して紹介します。

日本の民俗資料

戦争の記憶と禁断の信仰 – B-29模型と隠れキリシタンの遺品

B−29のモデル

「日本の民俗資料」の展示でまず初めにご紹介するのが、第二次世界大戦期に日本各地を空襲したアメリカの爆撃機「B-29」の識別用模型。当時、B-29の姿を知らない国民に「この飛行機が現れたら直ちに避難せよ」と周知徹底するため、全国の小学校や役場に配布された生々しい遺物です。

隠れキリシタンのグッズ

江戸時代の厳しいキリスト教禁令の下で自らの信仰を守り抜いた隠れキリシタンに関する資料も大変興味深い。信仰の対象物とは気づかれぬよう観音像の姿を借りて祀られた「マリア観音」、信仰の有無を試すために用いられた「踏み絵」、そして「この人物はキリシタンに非(あら)ず」と僧侶が発行したという証明書など、当時の緊迫した信仰のあり様を静かに物語る貴重な品々が並んでいます。

明治天皇ゆかりの品も!日常に垣間見る皇室の面影

日本の歴史を語る上で欠かせない皇室ゆかりの品も東洋民俗博物館の貴重なコレクションの一つ。中でも特に注目されるのが明治天皇が実際に使われたと伝えられる一膳の「お箸」です。「どうやって手に入れたのか?」と疑問が浮かびますがお箸から激動の時代を生きた明治天皇の日常や、歴史上の偉人の息遣いが感じられます。

庶民の願い炸裂!圧巻180枚の絵馬コレクションの世界壁

壁がけされた絵馬

日本の展示エリアで特に圧巻なのが壁一面を埋め尽くさんばかりに展示された約180点にも及ぶ絵馬のコレクション。そもそも絵馬とは、古代日本において神々に生きた馬を納していた習俗が時代と共に簡略化され、板に馬の絵を描いて奉納するようになったのがその始まり。やがて馬だけでなく様々な絵柄が登場し、人々の多種多様な願いを託す対象へと変化していったと考えられています。

絵馬に女性とムカデが示されています

この博物館の絵馬コレクションの真骨頂はユニークな絵柄と思わず唸ってしまう“ダジャレ”のような言葉遊びにあります。例えば、お椀に入った百足(ムカデ)を女性がまさに食べようとしている絵馬。館長の解説によれば、ムカデは「足が多い」ことからお金を意味する「御足(おあし)」がたくさん欲しい、という強烈な金銭欲の表れなのだとか!

不屈のブルースチェン(ライター)
不屈のブルースチェン(ライター)

「神様に個人的な欲望をお願いすることには気が引ける。そや!言葉遊びで願いを表したろ」という、当時の人々の信仰心や生活の様子を垣間見ることができて非常に面白いですね。

男根をたつ

大根が描かれた絵馬には21歳の娘さんが「大根を1年間断つので10万円儲けさせてほしい」という切実な願いが込められています。これは、「だいこん」の“い”を“ん”に置き換えると「だんこん(男根)」、つまり「男を断つ(その代わり大金が欲しい!)」という現代で言うところの“推し活”に大金をつぎ込むかのような、女性の赤裸々な願望が込められています。

離婚祈願

さらに、大正時代の困難な離婚事情を反映した「離婚祈願」の絵馬など、1928年(昭和3年)の開館以前に生きた人々の、赤裸々で人間臭い信仰心や生活ぶりが垣間見え興味は尽きません。

実はこの絵馬の展示は東洋民俗博物館の中で唯一、開館当初から展示方法が変更された場所だそうです。元々は雑多に保管されていた貴重な絵馬たちを現在の館長がその文化的価値に光を当て一枚一枚が見やすくなるように愛情を込めて壁掛け展示へと生まれ変わらせたとのこと。

外国の民俗資料

インドネシア・モーロック島から来た謎の「呪物人面」-異文化の神秘と畏怖

呪いのかお

「外国の民俗資料」の展示に足を踏み入れると特に異様な存在感を放つのがインドネシアのモーロック島から渡ってきたという謎に包まれた「呪物人面」です。どのような儀式で用いられ、いかなる力が宿ると信じられていたのか、詳しい説明は少ないもののその独特の表情と風貌は見る者に強烈な印象と未知の文化に対する畏怖にも似た感情を抱かせます。

小さな靴が語る中国の因習「纏足(てんそく)」-美と束縛、そして女性たちの苦難の歴史

纏足

次に中国の展示で目を引くのは息をのむほど小さな靴「纏足(てんそく)」。纏足とは幼い少女の足を布で固く縛り続け、人為的に成長を著しく阻害し変形させるという20世紀初頭まで中国に存在した、日本人から見ると痛ましい風習です。
当時の中国社会では極端に小さい足が女性の美徳とされただけでなく歩行を困難にすることで女性を家庭内に留め、貞節を強いるという側面もあったと言われています。現代の価値観からは到底理解しがたい風習と女性たちの苦悩をこの小さな靴が静かに物語っているようでした。

道教の呪符
道教の呪符

初代館長の仰天収集録!ペルー5千年前のミイラから「男根」だけをお持ち帰り!?

この外国の展示エリアで最も印象的な逸話を持つのがペルーからもたらされたという“ミイラの男根”です。伝えられる話によると初代館長がペルーの首都リマの博物館を訪れた際、なんと「5千年前のミイラを一体、日本に持ち帰っても良い」という破格の許可を得たのだそうです。

しかし、いざ持ち帰ろうにもミイラ全体ではあまりにも大きすぎて輸送が困難だったため、初代館長が下した驚くべき決断は…そのミイラの「男根」部分のみを切り取って日本に持ち帰るというもの! その行動の是非は現代の倫理観では計り知れませんが、初代館長の常軌を逸した収集への情熱や当時の異文化交流のおおらかさ(?)を物語る、強烈すぎるエピソードと共にこの“一部”が展示されています。

森羅万象窟(初代館長九十九黄人の研究室)

写真撮影禁止!初代館長・九十九黄色人氏の研究室「森羅万象窟」に眠る“禁断”のコレクション

森羅万象窟へ続く扉

東洋民俗博物館のさらに奥深く、ひときわミステリアスな雰囲気を漂わせるのが写真撮影が固く禁じられたゾーン「森羅万象窟」です。ここは、この博物館を創設した初代館長・九十九黄色人氏の研究室であったとされ、その深遠なる探究心と独特の収集癖が凝縮された品々が眠っています。

一歩足を踏み入れると、そこはまさに“禁断”とも言える領域。例えば、かつて日本中を震撼させた仲居が男性器を切り取ったという衝撃的な「阿部定事件」に関する生々しい資料。あるいは、大正時代の浮気事件に関する裁判の公式調書(極めて貴重?重大?な公文書の流出品)。さらに、古代インドの性愛に関する経典として名高い「カーマスートラ」の詳細な記述本や一世を風靡した文化的性風俗雑誌「あまとりあ」など、今では入手困難となった数多くの書物がその存在感を静かに放っています。

不屈のブルースチェン(ライター)
不屈のブルースチェン(ライター)

東洋民俗博物館は“変な場所”として紹介されることが多いように思いますが展示されているものはゴシップや際物ではなく、当時の社会風俗や人間の性、表現の自由について考える上で極めて貴重な文献資料群と言えます。

逮捕もなんのその!東洋民俗博物館 初代館長のヤバすぎる逸話と“エローマン”を名乗った理由

九十九黄人の写真

東洋民俗博物館の創設者、初代館長・九十九黄人(本名は豊勝)。彼の破天荒な生き様と強烈な個性こそが、この博物館の唯一無二の魅力を形作っていると言っても過言ではありません。戦時中にも関わらずタブーとされる“エロ”や反体制的な品々を果敢に収集し、そのために逮捕されたと経験もあると言います。

そもそも九十九氏が民俗学の世界に深く分け入るきっかけとなったのは早稲田大学に在学中、来日したシカゴ大学の著名な人類学者フレデリック・スタール博士の通訳を務めたことでした。この運命的な出会いから、国内外の多様な民俗資料に対する彼の飽くなき探求が始まったのです。
そして、ユニークな雅号「黄人」。これは自称であり「黄色人種=イエローマン」から転じて、自ら「エローマン(エロい男)」と名乗ったというのですから、その大胆さには舌を巻きます。103歳まで生きた。

つくもおうじんのイス
黄人氏が母のためにこしらえた椅子。母も100歳越えの長寿。黄人氏も愛用した。

その“エローマン”としての伝説は枚挙にいとまがありません。例えば、なんと4000本もの陰毛を収集しそれぞれに職業や年齢、氏名などの詳細なデータを記してファイリングしていたというから驚きを通り越して唖然とするばかり。さらに、特高警察に逮捕され、「お前はアカ(共産主義者)か?」と厳しく詰問された際には、「ワシはアカやない、ピンク(つまりエロの専門家)じゃ!」と切り返したという逸話は彼の機知とユーモアを鮮やかに示しています。エキセントリックなエピソードの数々に長寿も納得だ。

九十九黄人と師スタール博士の友情物語:東洋民俗博物館に息づく国際的学術交流と銅像秘話

フレデリックスタール

九十九黄人氏の民俗学への情熱に火をつけたのはアメリカの高明な人類学者のフレデリック・スタール博士。スタール博士はアイヌ研究などを主な目的に1904年(明治37年)に初めて日本を訪れ、その後1933年(昭和8年)までの間に日本の文化と風土に魅せられて実に16回もの来日を重ねました。

博士の日本研究の対象は驚くほどユニークかつ幅広く、アイヌ文化や江戸末期の探検家であり北海道の名付け親でもある松浦武四郎の研究はもとより、庶民の暮らしに根差したなぞなぞ・絵解き・ひな祭り・祭礼の山車・河童信仰・納札・富士講など、多岐にわたっていました。特に納札には並々ならぬ情熱を注ぎ、自らの名「スタール」をもじった「寿多有(すたある)」と記された納札を日本各地の神社仏閣に貼り巡ったことから、「お札博士」という愛嬌(あいきょう)のある異名で親しまれたほどです。

若き日の九十九黄人氏は、このスタール博士の通訳を務めたことをきっかけに、日本の民俗・風習研究の世界へと足を踏み入れました。二人は師弟のように沖縄の島々からアイヌの集落まで、文字通り日本全国を共に巡り貴重な民俗資料を収集したのです。
その深い絆と敬愛の念を物語るのが、博物館の建物の外に今も大切に展示されているスタール博士の銅像です。第二次世界大戦のさなか金属類回収令によって多くの金属製品が国家に供出された際にも、真っ先にこの銅像を人知れず隠し、戦火から守り抜いたという感動的なエピソードが残されています。

拝観の際は電話予約が必須

東洋民俗博物館の拝観は予約制です。訪問時間に合わせて敷地内で暮らす、初代館長のご子息の理事長兼館長が解説案内してくださります。

電話番号

東洋民俗博物館 0742-51-3618

解説の様子

解説の様子を動画メディア「Mcguffin」で確認することができます。私が訪問した際も動画と全く同じ解説でした。おそらく、展示されている民具の詳細を全て頭の中に入れているのでしょうね。凄すぎます。

アクセス

施設名博物館・資料館財団法人 東洋民俗博物館
詳しい場所をGoogleマップで確認する
住所〒631-0032 奈良市あやめ池北1-5-26
TEL/FAX0742-51-3618 / 0742-51-3618
休日不定期にあるので、事前に電話が必要
年末年始を除き年中無休
料金大人500円 小人200円

まとめ

「東洋民俗博物館」──その一見お堅いアカデミックな名称の裏に隠されていたのは、自らを「エローマン」と高らかに称した初代館長・九十九黄人氏の常識破りで破天荒な生き様と、その強烈な個性と審美眼によって世界中から集められた玉石混淆、驚天動地のコレクションワールドでした。
戦時下の日本でタブーとされる“エロ”や“反体制”の品々を果敢に収集し、時には逮捕されることさえ恐れなかった反骨精神。シカゴ大学の碩学フレデリック・スタール博士と共に日本全国を駆け巡り民俗学を探求した学究肌。そして「ワシはアカやない、ピンクじゃ!」と特高警察を煙に巻いたという、痛快でユーモラスな機転。そんな初代館長の人間味あふれる全てがこの博物館には凝縮されています。

世界各地の性崇拝の呪物、中国の纏足の小さな靴、ペルーの古代ミイラの一部、そして発禁処分となったため今では入手困難な書物の数々…。それらは、単なる珍品奇品というだけでなく人間の根源的な欲望や歴史の暗部、そして抑圧された表現への渇望をも生々しく映し出す、他に類を見ない貴重な資料群です。
昭和初期の美しいアール・デコ建築(奈良県有形文化財)の中で、100年近い時を経ても開館当初とほぼ変わらぬ姿で展示されるこれらの品々は、訪れる私たちに強烈な問いを投げかけてきます。東洋民俗博物館は、あなたの常識や価値観を心地よく(あるいは激しく)揺さぶり、笑いと畏怖、そして深い思索へと誘う、日本でも類を見ないディープで刺激的な場所と言えるでしょう。
ここは、ただの博物館ではありません。初代館長の情熱、反骨精神、そして人間という存在への尽きない好奇心が詰まった、まさに**“知の魔境”**であり、一度訪れたら忘れられない強烈な体験が待っています。ぜひ一度、この唯一無二の空間に足を踏み入れ、初代館長の魂の叫びと、彼が集めたモノたちが放つ声なきメッセージに耳を澄ませてみてください。最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。