京都の街を歩いていると、そこかしこに歴史を感じさせる地名が目に飛び込んできます。その中でもひときわ異彩を放つのが、「天使突抜通り」。まるでファンタジー小説に出てくるような、不思議な響きのこの地名は一体、どのような由来を持つのでしょうか?写真とともに紹介します。
天使突抜通りは1丁目〜4丁目まで存在する

五条堀川の東急ホテルの近くに位置する「天使突抜通り」。Google Mapで通りを確認すると天使突抜通りは一丁目から四丁目まで存在することがわかります。実際に天使突抜通りを4丁目から歩いてみました。
何もない天使突抜通り

天使突抜通りは、小さな住宅街で天使感を感じさせる物は何もありません。存在するのは天使突抜通りと記された看板やゴミ箱などです。



地元の人が立ち話をしている中、写真を撮っていると通行人から少し変な目で見られている気がしてきます。案内板やゴミ箱など何の珍しさもないように見えるものを撮影している姿はカラーコーンや道路標識を撮っている外国人状態だ。いや違うか、外国人顔の青年が道端のなんでもない物の写真を撮っているのなら、「そんな物まで珍しがってくれているんだね、日本の文化に興味をもってくれてありがとう」という気持ちになるだろうが、地域の案内板を撮影するバリバリ日本人顔のおじさんには「何をしているんだ??」と訝しげな目線が送られる。




天使突抜という珍地名は豊臣秀吉の改造が原因
「天使突抜通り」そのユニークな名前の由来は、豊臣秀吉による京都改造に深く関わっています。
豊臣秀吉が京都の都市計画を行った際、新たな道が次々と開削されました。その一つが、この「天使突抜通り」です。この通りが造られた場所は、かつては「五條天神宮」という神社の境内の一部でした。「五條天神宮」は、少彦名神を祀る神社で、地元の人々からは「天子様」と親しみを込めて呼ばれていました。「天子」は天皇を指す言葉でもあり、この神社を「天使社」や「天使の宮」と呼ぶこともあったようです。
秀吉による都市計画で、この神社の境内を貫くように道が造られたことから、「天使の宮を突き抜ける道」という意味で、「天使突抜通り」と呼ばれるようになったと言われています。
幻の六条通りに少し寄り道
天使突抜通り4丁目の近くに六条通が位置しています。実は京都市内に六条通りが存在していることはあまり知られていません。なぜなら、豊臣秀吉による街改造によって現在は河原町通~堀川通までのかなり短い通りとなっているからだ。

六条通りは京の通り名数え歌の「まるたけえびすに~♪」にも登場する通りで、昔は貴族の邸宅が並ぶ大きな通りでした。現在の京都の街ではその面影は少ないですが、歴史深い通りなのです。
アクセス
五条天神宮の住所:〒600-8459 京都府京都市下京区天神前町351−2
市バス:市バス50「西洞院松原」下車