青森駅から歩くこと数分で闇市のどさくさで生まれ、バラック酒場が密集する今も現役の歓楽街「第三新興街」にたどり着く。
外観はボロボロで、明らかに周りと雰囲気が異なるがどこかノスタルジックで魅力的な風景だ
詳しい様子を写真と共にお伝えします
青森駅周辺と第三新興街の様子
想像以上に都会の青森市内。お洒落なスポットや活気のあるお店が多い印象を受けました。それに、他の地方都市に比べ、スナックが多い印象。人口一人当たりでスナックの割合を計算すると、青森県は全国の中で上位にランクインしているそうだ
そんな綺麗で盛り上がりのある街中を歩いて行くと、時代をその場に閉じ込めたような、ボロボロの一角に到着する。「第三新興街」と赤字でかかれているが、経年劣化して赤色がいちごミルクみたいな赤色になっているぞ
時刻は13時頃。アーチをくぐって進むと。いくつかの建物から音が聞こえてきました
営業中のスナックでの笑い声であったり、店舗を兼ねた住宅からの生活音であったりするので、今も現役の歓楽街だということがわかる
第三新興街の様子
建物を観察する。三階建ての建物が多い気がするけど、うーんなんだろう
二階部分が迫り出していたり入り口が小さかったりと違和感がある。きっと増設に増設を重ねた結果だろう。他にも電線の位置がやたら低かったり、「ムーディーサロンクラブ」「リリアン」「寿宝」「富美子」などインパクトのある彩色とフォントの看板が多数並んでいたりする
建物の圧迫感と普段見慣れないバラック建物に挟まれて歩いているからか、息が詰まりそうになるな。凄い雰囲気だ
突き当たりにあった胡蝶。室外機が動いていたので、人の気配はある
勝手に青森を代表しているスナックを発見。タイルが良い感じ
隣にも路地があるのですが、こちらは老朽化がさらに著しく、立ち入らないようにパイロンが立てられていました。営業をしている店はありませんでした
第三新興街より少し離れた所にも同じような建物群がありました。中央古川通の中華料理「吉慶」と言う店の近くにあった。詳しい場所をGoogleMapで確認する
路地の裏側の写真。隣の建物もきっと雰囲気があったのだろうが、取り壊され空き地になっていました
戦後復興の名残が残る街並み
第三新興街が生まれた経緯には第二次世界大戦の空襲が深く関係している
青森市は本州と北海道との人流・物流を繋ぐ要の地であり、北東北地域の物流拠点としても栄えた港町です。しかし、1945年(昭和20年)7月28日~29日にかけて行われた青森大空襲により現在の青森駅付近は焼け野原となりました。人々の生活はどん底である
そんな中、復興や豊かな生活を希求する人々が法律を全く無視してバラックを建て、そこから闇市が形成されていった。
元々、人の往来が激しい港町である。凍てつく厳しい環境下で男性労働者の欲望も醸成されていく。
表向きは飲食店であるが、売春行為を提供する店が点在する青線街として「第三新興街」が闇市の広がりと共に発展していった
第三新興街は戦後復興の名残が残る、日本全国の中でも数少ない街なのだ
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まとめ
長らく戦後の闇市の名残りが続いていたが青森駅周辺だが、平成元年頃に取り壊され、一気に再開発が進んだ
そんな中、駅から南に徒歩数分程度の場所にある「第三新興街」は、その再開発の流れを受けず
(いや、漏れたのかもしれないが)未だにバラック酒場が密集する怪しい風景が見られました
さらに付け加えると、現在も現役で機能しているナイトスポットでもある。夜になると呼び込みをする人も立っているらしい
青森の再開発されたエリアにもそれらしい店があったようには思いますが、老朽化が進み、廃墟が並ぶ「第三新興街」が生き残っている理由はなんなのか?
私にはわかる。言葉に言い表せない、不思議なエネルギーを感じずにはいられない場所だからだ
以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました
参考
国土交通省東北地方整備局青森港湾事務所 青森港の概要http://www.pa.thr.mlit.go.jp/aomori/020/010/010/20200101101000.html
1970年頃の青森市の映像
https://www.youtube.com/watch?v=u32dfpO_HHU
アクセス
住所:〒030-0862 青森県青森市古川1丁目3